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実家のこと [雑感]

5月のGWで、震災後初めて、やっと陸前高田の実家に行けました。
向かう道で、よく知る光景が瓦礫に成り果てているさまを目にした瞬間、
それまでテレビで何度も見て知っていたつもりだったけれど、ただ涙。

実家は、家そのものは元のままだったけど、
津波での散乱と、運びだしのための散乱と、
周囲や家の中は家財その他と流れ込んできた瓦礫で散々な状態。
これが我が家・・・。
いえ、どんなに散乱していても実体があるだけ、幸せでした。

我が家自体は200~300万円程度で補修できそうな被害だったけど、
土地が借地で、同じ敷地に住む地主は自家の損傷がひどいから壊したいということで、
その他、昔からの諸事情が関係し、うちも取り壊すことになっていました。
うちは住めるのに。。
住めるのに壊される。すごくつらいけど受け入れなければいけないことでした。

なので、GWは荷物を整理し仕分けて運びだしを。
両親(70代半ば)と義兄がそれまでやっていた中に、私が参入。
父は、物を集めるのが好きで捨てることが苦手、
うちではそれで何とかなったけど、何分の一のスペースな仮設住宅ではそうはいかない。
母は母の領域の整理で手一杯、義兄は両親に口なんて出せない、
なので作業は全然進んでいませんでした。
心を鬼にし、厳しい言葉で全て取り仕切り、断捨離を決行。
ただ、後に思えば、父の気持ちをもう少し察し、せめて言葉は優しくすればよかったかと。。。

あと、亡くなった兄の17回忌の法事を行い、お寺から帰る途中、高田町の街中を通りました。
高田にいながら、両親も姉もその日が初めての通行だったそう。私ももちろん、初。
あまりに変わり果てた高田の街に、家族全員皆、涙。

これが5月のこと。
そして6月の中旬、家の取り壊しが。

これは市と少しトラブルが。
解体の立会を希望し、解体日2日前には通知をと、市の担当者に依頼し、承諾を得ていました。
が、ある日いきなり人づてに「解体は明日」と。市からは何の連絡もきていません。
何!?と、市に連絡をとりクレーム、解体日程をずらしてもらいました。
そして準備し、高田へ。

その時点で両親は横田小の仮設に入居しており、そこそこ落ちついていました。
緑まぶしく、横田は震災前とまったく変わらず、変わったのは仮設住宅ができたことと、
川の駅には災害ボランティアの方が多く姿を見せていたことでした。

家に行くと、既に業者の方は準備をしているところ。
今日、本当にこの家が無くなるの?まだ実感なく。
解体前に、HV動画で家を残しました。

そして解体工事開始。
ベランダなど鉄製のものをはがすとき、キキィーっという音がとても悲しく聞こえます。
涙があとから頬を。
ただ黙って、その光景をHV動画に収めました。
2時間ぐらいの作業で、2階の取り壊しが8割ぐらい終わったところで、、
父がもう見ていられないと言いだし、1階の作業は明日ということだったので、
その場を離れました。

翌日、午後始めに行くと、そこには何もない更地が。
1階の取り壊し作業は午前中のうちに終わったようです。
私の生まれ育った家は、わずかな一部の基礎を残し、無くなっていました。
両親は、苦労して建てた家が壊されるさまを見るのは辛かったでしょうが、
私は最期を見てあげたかったので、呆然とし、
積み上げられた解体資材の山に見慣れたトタンなどを見つけ、涙。
もう、無いんだ。


そして8月。
お盆明けから1週間、高田に帰りました。
横田小の仮設住宅なので、正しくは横田かな。
横田はより緑濃くなり、田畑は豊かに実り、気仙川には鮎の姿があり、
いつもの夏とまったく変わらないように思いました。

仮設住宅は色々問題が言われ、その一番大きな問題の耐熱性。
これは私が帰る1週間前に工事が行われ、だいぶ改良されました。
鉄板1枚だけだった外壁をもう1枚の鉄板で覆い、間に耐熱材が入りました。
それまでは、壁を触ると暑さどころか熱かったそうですが、
工事後は、お日様が照っても、壁を触っても熱くなくなったそうです。
私も実際触りましたが、効果歴然でした。
あと、玄関も二重化され、雨でも気にせず履物を置けるようになりました。
これは、普段のことなので本当に効果が大きいです。

あとハエ。
毎日ハエがうるさくて、と母から聞いてましたが、いざ帰ってみると、
家の中で、5,6匹は飛んでます。これはうるさい。
早速ハエタタキを持ち、追いかけ回して駆除。
少し油断して網戸を閉めていないと、すぐさま入ってくるので、
戸を開け放ちがちな父には、戸を閉めるようガミガミw
なお、フマキラーの押すだけベープスプレーでは、
閉めきった4.5畳の部屋でもハエには効果ありませんでした。。

そうそう、19日にはまさかの生ドリカムでした。
高田にドリカムが来た。すごいことです。
父はドリカムを知らなかったけど、母がさすがにドリカムは見たいと言い、見に行ってきました。
車は小学校の隣の、家の跡地に停めればいいよねと言いながら着いたら、
既に知らない車がうちの跡地に停まっていました。
津波の被災地では、更地になってしまうと誰もがずかずか入ってきます。
生えている植物が、勝手に取られます。
ゴミも捨てられます。
建物があったとしても、住人が避難し住んでいないと、同じことが起こります。
それが現状。

今日と明日は、高田では大規模なイベントが。
天気が非常に良く、両親も行ったとのこと。
おそらくまたニュースなどになるのでしょう。
でも、こんなイベントではなく、一番待たれるのは未来への道。
人々がなりわい、生きる街を創る設計図こそ、高田には必要です。
ワタミ社長、霞が関官僚、それぞれ素晴らしい知識・経験と人脈をお持ちでしょう。
それが陸前高田にマッチするか、させられるか、させる能力を持つ人間がいるか、
どうなのだろうと、今は思うばかり。

あと、地震はやはり続いてます。
東京ではすっかり鳴らなくなった緊急地震速報も、相変わらず。
早く地震を心配しなくてよい日が戻ってきますように。


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