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父の危機-3 [父の肺炎]

胆沢病院は完全看護で、付き添いは不要なのだけど、
もしかして限られた時間かもしれないことと、陸前高田の家と往復できる距離にないので、
母と私はずっと、病院に泊まり込みでした。
父の病状の関係で個室だったので、簡易ベッドを借りて病室内に置き、そこに母が、
別にある家族控室に私がそれぞれ寝る恰好に。
父の酸素濃度のアラームは、睡眠時無呼吸症候群も持っているせいで夜中に頻繁に鳴り、
その上、床ずれ防止でしょっちゅう看護師さんが体位を変えにくるので、
同じ病室に寝た母は、あまり寝られなかったようです。
家族控室の私にもアラームは聞こえ、夜中に見に行ったこともあるので、
病室内の母は、相当辛かったでしょう。

19日朝、担当医がふっと病室に来て、BiPAPの酸素濃度を少し下げました。
おっ、下げた!
そして16時ぐらいに説明がありました。
X線写真では、影がだいぶ薄くなったと。
また、血液検査で、炎症を表すある物質の数値が、劇的に下がったそうとも。
もしかして、期待の方向に?
でも、相変わらず、それについての明言は得られませんでした。

ここで一つ、考えないといけないことが。
私がいつまで付き添うかです。
父の容体が悪化する前は、16日~20日の岩手滞在の予定でした。
しかし、こういう状態になり、安定してきたとはいえ、医師の脅かしのような「今が一番良い」の言葉に、
可能な限り一緒にいたい気持ちが募ります。
でも、逆に、私がいること=父に自分の状態を心配させることになるので、
父はもっと良くなる、そう信じ、21日に東京に戻ることにしました。
もちろん、その週末には再び岩手入りすることにはしましたが。

20日も、父の様子は安定しています。
BiPAPの濃度はもう少し下がりました。体内酸素濃度も安定しています。
そして私はいったん東京へ。

24日、再び岩手へ。
病室に着いたのは昼頃でした。
入ると、ベッドを起こし、エンシュアを飲もうとしているところでした。
25日に経口の食事になるそうで、その橋渡しのエンシュア摂取です。
前進です。
BiPAPの酸素濃度も、また少し下がっていました。
この日、ずっと付き添っていた母はいったん陸前高田へ。
私が代わりに、26日まで泊まり込みです。

ただ、父の様子が少しおかしいことに気づきました。
先日より口数少なく、何か、目の焦点が合わない様子でいることが多いんです。
この数日で、認知症が発症しているのでは!?
すぐ、担当医にそのことを相談しました。
すると、ステロイドは精神高揚作用があるので、数日前はそれだったのではと。
また、胆沢病院には精神科が無いので、認知症の治療もカウンセリングもできず、
今はとにかく救命の方が大切だから、手立ては無いと。
ショックでした。
とにかく食い止めなくては。
積極的な会話やTVなどの外的刺激を増やさないと。
けど、実は認知症でなかったことが、後で判ります。


タグ:間質性肺炎
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