母の手術 その1 [雑感]
母の胃摘出手術の日程が決まったのは先月18日。
27日のGLAYの長野ライブの後であってくれたら・・・
願いは届かず、24日に入院し26日に手術とのこと。
けれど、母の方が大切。
未練無く、知り合いに4列目HISASHI前チケットを譲りました。
23日が祝日だったので、22日の夜行バスで実家へ。
深夜バスに乗ったのは10数年ぶり。
やはりあの雰囲気、シートはヤですね~。
けれど、どうでしょうのおかげで、そのキツささえもある意味楽しめました。
23日朝、家に到着。
いつもと変わらない朝食で母が迎えてくれました。
昼間、術後はしばらく温泉などもムリかもしれないので、
みんなで温泉にでもと考えていましたが、天気の悪さや準備のあれこれで行けず。
結局、夕食の買い出しだけの外出。
今夜はお母さんの食べたいものをメニューにしよう、
そう言うと「そう言われてもね~・・。」と困る母を見ていて、
ずっと家族の食べるもの・食べたいものをまず考えてくれていたのだなぁとしみじみ。
なお、その日の夕食は地元の朝穫れイナダのお造りに。
これがですねー、エラく美味しかった~。
しかも、値段が半端ない。なんと1匹丸ごとで240円!
しかも、魚屋さんがおろしてくれてサクにまでなってもその値段なのですよ!
三陸の地元海の幸パワーの真髄を感じたメニューでした。
24日、いよいよ入院。
やはり母は色々な意味で不安と緊張でいっぱいな様子でした。
私たち家族は、そんな母をとにかく元気づけ、力にならないとと実感でした。
部屋は4人部屋。
個室なども考えましたが、話し相手・仲間がいた方が良いのではということで、
費用の面でも負担が軽い4人部屋を選びました。
母を担当するという看護士さんが挨拶に来て、その姿を見てびっくり。
そんじょそこらには居ないような、長身の超イケメンだったのです。
玉山徹二と生田斗真を足して2で割った的な感じと言えば伝わるかな~。
まぁ、入院生活で楽しい気持ちになることなんてそうそう無いので、
せめて、そういう楽しみがあったのは良かったかも。
ちなみに、彼は地元で1番ありふれた苗字だったので、
家族内では、彼をファーストネームのミツマサと呼ぶことに。
25日、病院に行くとすでに母には点滴の管が入れられていました。
術後の薬剤や栄養剤を入れるためだそう。
この日、隣のベッドが同級生のお母さんであることが判明。
手術も同じ26日とのこと、世間は狭いと感じた一瞬でした。
26日、手術当日。
朝、仏壇の仏様、帝釈天様、亡き兄に手術の無事をお祈り。
それまで、私が泣いても何にもならないと思い、ずっと泣かずにきたけど、
この瞬間だけは、涙を抑えられませんでした。
どうか、手術が無事で終わりますように。
その後の経過もどうか良いものでありますように。
長くなるので、続きはその2へ。
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