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母の手術 その2 [雑感]

手術は11時30分から。
驚いたのは、手術室には自分で歩いていくこと。
まぁ、それまで普通にピンピンしていたのだし、麻酔をしているわけでもないので、
歩けるのは当たり前なのだけど、なんかイメージが違ってました。
家族全員で、頑張ってね~!!と手術室に入る母を応援。

手術時間はおよそ4時間程度と事前に説明を受けていましたが、
実際に終わったのは5時間半も経った頃でした。
手術室に呼ばれ、摘出した胃と胆のうを見せられ、
実際の病変部位の説明や、術中の経過などを聞きました。
ちなみに、病変部位は素人でも明らかにわかるものでした。
これが母の命を脅かしていたのか。。。
母の体の一部であった胃とそこに巣食ったガンを複雑な思いで見ました。

ほどなく母が手術室から出てきました。
意識は戻っているものの、痛むようで苦痛に顔を歪めています。
術後の一晩を過ごす回復室に運ばれ、少しして家族の入室が許されました。
痛みにうめいています。
看護士から、痛みどめを入れたので10分ぐらいで痛みは和らぐはずと説明があり、
母に、もう少しで痛みが止まるからと声をかけて励ましました。
が、いくら経っても痛みが和らぐ様子が無い。
効き始めるはずの10分なんてとうに過ぎ、30分以上同じ状態が続きました。
母は我慢強く、相当なことで音をあげない人なのですが、
痛みに耐えきれずうめき、この痛みはいつまで続くのかと苦しんでいます。
看護士に再度訴えるも、おかしいですねと言うだけでとりあいません。
1時間経っても痛みが続くなら対処しますというんです。
この苦しみを1時間ガマンしろと!?
普通なら10分で効くはずで、倍以上待っても効かない薬を、6倍の時間待てと!?
アホか、テメーがその身で体験してから言え!と言いたかったけど、
ケンカして事柄が改善するわけではないのでこらえ、
とにかく対処をと粘り強くお願いし、
結果、45分経過した頃やっと、別の痛みどめを点滴に入れてもらえました。
それはかなり即効性のある痛みどめであったらしいのだけど、
結局、それの効き目も遅かったです。
どうにかうめかないですむようになったのは1時間10分経過した頃、
本当の意味で効いたのは1時間半はゆうに経過していました。

この件は、今でも疑問が残ります。
同日にオペがあったほかの二人も1時間以上うめいていたと聞いたのは後日。
外科手術とはそういうものなのか、それともあの病院の対処が悪いのか。。

27日昼、回復室から病室に。
お腹を切っているので話す声に力は入らないけど、話すことはできました。
傷の痛みはある程度あるようで、痛みどめの注入スイッチを何度も押していました。

28日。術後2日目です。
水分NGなので、口が渇くのが辛そうでした。
痛みどめがはずされましたが、特に辛そうな様子はなく、人間の回復力を感じました。
歩かないと腸が癒着を起こすというので、歩行訓練開始。廊下の半分を往復。

29日。術後3日目です。
朝、縫合部分の接合を確認する造影検査を行うはずが、救急対応で翌日に延期に。
この検査がOKなら水分許可だったはずなので、とても落胆。
しかし、後から、担当医から水分だけはOKの指示が出ました。
接合状態を確かめずにOK出していいの!?
少し不安に思ったものの、水分が摂れるのはありがたいので水を摂取。
飲んだとたん腸が音をたて、人間の体の敏感さを感じました。
歩行訓練は、廊下1往復を日に2回。

30日。術後4日目です。
造影検査は無事OKで、食事開始のGOサインが出ました。
食事とは言ってもこの日は重湯ですが。。
しかし、造影剤の影響もあり腸の反応が大きく、ほとんど食べられず。
歩行訓練は、廊下1往復+αを日に2回。
体に差し込まれていた管2本のうち1本がはずされました。

1日。術後5日目です。
食事が3分粥に。ほんの少しながらおかずも。
やはり腸の反応のすさまじさに、ほとんど食べられず。
歩行訓練は、病棟内1周にランクアップ。

2日。術後6日目です。
5分粥にランクアップ。おかずはかなりおかずっぽくなりました。
食べる量は、どうにか半分ぐらいまで改善。
歩行訓練は、楽勝に病棟内1周。
体に差し込まれていた管のもう1本がはずされました。

3日。術後7日目です。
全粥にランクアップ。食べる量は、3分の2ぐらいまで改善。
高栄養剤の点滴がはずれました。
シャワー許可が出て、1週間ぶりにお風呂。

4日。術後8日目です。
抜糸。今は、糸じゃなくホチキス状の針で、それを抜きました。
全粥。食べる量は変わらず。
高栄養剤が無いせいか、ふらつくとのこと。
浴槽につかるお風呂の許可。

5日。術後9日目です。
私はこの日で帰京。顔を見せる感じで病院に行きました。
お粥からご飯に。食べた量はやはり3分の2程度。
しっかり歩き、私をEVホールまで見送ってくれました。

以上が、私が付き添った間の母の様子でした。
毎日朝の8時半頃から夜8時ごろまでずっと付き添っていて、
こんな風にできるのは幸せな環境だなとしみじみ実感。
当初予定よりも休暇延長を認めてくれた職場に、
私の不在をガマンしてくれた彼に、
仕事をしつつ家のこともしつつ毎日支えてくれた姉に、
母を心配であったろうけど、主には家事様々を頑張った父に、
みんなに本当に感謝でした。

母の退院は15日とのこと。
本当は8日には退院許可があったそうだけど、諸事情で15日に。
母はこれからの生活が大きく変わるし、
もしかすると他の補助治療もあるかもしれないなど、
まだ全部が終わったわけではないですが、
精いっぱい支えになれるよう、頑張っていきます。


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